歩行者天国の廃止は逆効果

なんだかねえ、通り魔殺人事件が起こってしまった理由があの歩行者天国にあるのではないか、という論調のメディアが多い(たとえばこことか)。実際模倣犯防止のため歩行者天国を中止する可能性が高いそうなのだけれど、では実際歩行者天国であることが事件を大きくしてしまったのだろうか?

正直、歩行者天国関係ないけど

あらかじめ断っておきたいのは、僕は通り魔事件が、歩行者天国にその原因を求める程度に矮小化されるべきではないと思っているし、またそうすること自体が(ある種のキチガイが起こした行動に対し理由付けをすることも含めて)全くの無意味であると考えている。歩行者天国を規制しても、「人殺しをしたい」という人間は全く別の手段をもって殺人を犯すに違いない。曰く殺人を起こすのは凶器や現場ではなくあくまでも彼の思っている心情なのであるから、そこに何があろうと事物は全く関係ないのである。

それでも「歩行者天国」に乗っかる理由

さて、それでも今回歩行者天国云々の話にあえてのっかるのは、その方が「歩行者天国の廃止」に対する反対として明確な主張が出来そうであるからである。ということで、今回は「歩行者天国があったからむしろ被害者が少なかった」という説を唱えてみる。

もし歩行者天国がなかったら

現場の状況は、「秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録 : 筆不精者の雑彙」に詳しいので、この現状を下敷きにした上で、「もし歩行者天国がなかったらどうなっていたのか?」という検証(?)をしてみる。
上記ブログの第2図を見ていただきたい。歩行者天国がない場合、交差点の四隅に大量の人が信号待ちをしているというのが秋葉原の常である。そして十字にかかる道路には車が常に走っている。もしこの状況でトラックが同じように十字路に入り、そしてソフマップの方向につっこんだ場合、Aの地点で信号待ちをしていた多数の人々がトラックの犠牲となる。信号待ちのA地点での混雑は歩行者天国のそれを遙かに上回るものであることを考えていただければすぐにわかるだろう。そしてA地点でトラックが停止し、犯人がナイフをもって暴れ始めた場合、A地点にいた人々は逃げる場所が限定されてしまう。即ち歩行者天国がないために反対側へ逃げることも出来ず、ソフマップに入るか、あるいは北・東方向へ道路沿いに逃げることしかできないのである。放射状に逃げることが出来ず、線分上を進むことしかできないため、被害者はさらに多くなると考えて良い。
これらは、交差点のうちどの角につっこんだ場合にも再現可能である。即ち歩行者天国はそこに本来集まるべき人口を分散させ、また放射状の自由な避難ルートを確保したため、事件の被害を軽くしたと考えるべきである。歩行者天国は何の悪さもしていない。冷静に考えてみれば、歩行者天国につっこむよりも信号待ちの群衆につっこんだ方が遙かに恐ろしい結果が待っているといえる。だから、模倣犯を防ぐためには、歩行者天国を廃止するのではなく、むしろ明神通りまで拡張すべき、という話になる。

歩行者天国秋葉原の文化だ。あれほど都市が自分の延伸として感じられる空間、街が人のためにあることを実感できる場所は存在しない。それが、たった一つの防ぎようもなかった事件の責任を転嫁される形で終了してしまっていいのだろうか。事件の分析なんてどうでもいいから、ブログ論壇は今すぐ「今だからこそ秋葉原を守る」ことに尽力すべきだ。

さて、ハイパー喘息タイムが半年ぶりくらいにやってきたので病院に行く。