Re:「ネット依存」(お詫びといいわけ)

気がつくのが遅れたため時機を逸してしまったのではあるが、「ネット依存・続き | blog.yuco.net」にて返信していただいたので、思うところを書いておきたいと思う。この文はいつもに加えて日記的にだらだらと書き続けていくので、かなり読みにくいとは思うがお許しを。

まず最初に、記事をよく読みもせず「ネット依存の人間は直ちにそれを治さなくてはならないのだ(なぜならばネットはあまり良くないものであるから)」といった論調の記事であると勝手に解釈してしまった点についてはお詫びしておきたい(同時に、非常に口汚い点についても)。この記事に対する返信はほどほどにしておいて、 僕自身が思っていたことを少しだけ記述しておきたい。以下、氏の記事とは関係なく、「ネット依存症」という言い方に対する違和感として読んでいただければ幸いである。

もともとは、「それまでは病気とはされなかったものを、病気認定して治療すべき存在とする」風潮に対する違和感が根底にあった。
例えば肥満や喫煙はもはや病気の原因であるだけでなく、それ自体が病気であるかのような報道・宣伝が行われている(「メタボ」「健康保険で禁煙しよう」)。インターネット中毒についても、「ドーパミンが大量に放出される」という特に物珍しくもない理由だけで「病気である」と認定され、「治療しなくてはならない」存在だと放送されたのだろう、そして氏はそれに賛同しているのだろう、と勝手に想定していた。

「自分で治したいと思っている」なら良い。だが「治療しなくてはならない」という社会的な要請が高まれば、それは我々の自由をただただ束縛するだけである(なお、いわゆる「他者危害の原則」の是非については割愛する)。そのようにしてインターネットの利用を制限した方が良いと主張する者がいるのであれば、いっそのことインターネット自体には非はないのだとする主張を行ってしまおう、と考え当該の記事を書いた。

「ワーカーホリック」なる例を持ち出したのはそのためである(もっとも、「ホリック」ではあるから、例として適切さを欠いていることは否定できない。クラブ狂い・熱狂的ファン、等……ドーパミンが大量に放出し、それがクセとなっているように思われる存在は多々ある)。インターネットによってドーパミンが大量に放出されるのと、仕事で認められる快感を重ねることによるそれに何か違いがあるのか。何をもって「病気」であるとか「治療の対象」であるとかを決めるのか、我々が新たな病を創造しているだけではないのか。そしてそれは、我々の自由な選択を殺していくのではないか、と。

という決めつけの上重ねにより、結果的に氏の記事を誤読し、語気の強い文章を剥けてしまった点は素直に反省している。ただし、インターネット「依存症」とはいったい何なのか、それに対して我々はどう接するべきなのか、その中で、実際にインターネットは我々に対しどのような影響を与え、我々はその影響をどう処理するのが良いのか、さらに論点こそ変わるものの、テレビ・ゲーム・インターネットといった新しい商品・文化価値に対し「新しい社会問題」の原因を押しつけるような風潮はいかがなものか、こういった意識を今も持ち続けていることは記載しておきたい。

最後に一点だけ。

自分のアイデンティティを託したネットが攻撃されている! という被害妄想が見える。

この点については同意することが出来ない。もっとも、「僕個人の(無)意識」の探り合い、なんて誰も望んでいないだろうから、「そんなことは全くない」ということだけ書いて、この文章の締めとする。また、以前からインターネット上の文章をサッと乱読し恣意的に解釈する(とくに時機を逃さず早く書き上げようと思っているときに出る)癖は重々認識しているため、今後とも気をつけていきたい。