ニコニコ動画に二次創作が再び戻る日

ニコニコ動画においてMADや二次創作作品*1が削除されはじめた、というニュースが話題を呼んでいる。「パロディ封じに対するニコ動のしたたかな戦略 - プログラマーの脳みそ」のような肯定的な意見から「ニコ厨の脳内がお花畑すぎる件について」のような否定的な意見まで論調は様々ある。

けれどもとりあえず、ここでは「犯人捜し」だの「ニコ動はこれからどうなってしまうのか」だのを論じるのはやめよう。だって、みんなニコニコ動画から二次創作やMADが消えるのは嫌なんでしょ?それなら、今考えるべきなのは「どうやったらニコニコ動画に再び二次創作が戻ってくるのか」ということであって、「権利者はニコ動が申請者を表示する機能を実装することで消費者の制裁を受けるだろう」とかそういうじゃないのは一目瞭然。権利者の意識改革が必要なのは分かるけれど、それは消費者からの脅迫によって成り立つものじゃないでしょうに。現時点で権利者が確固たる権利を持っているのは事実であって、二次創作やMADが違法であることには何ら変わりないのだから。

二次創作は権利者にとって少なくとも害ではないことを、ニコ動は主張すべき

二次制作は一次制作を利用していること・一次制作者には明文化された権利があることを考えれば、一次制作者の声が場において大きくなるのは致し方ないこと。しかし、だからといって二次制作者が現実として権利者にとって不都合なことを行っている事実はない。そもそも多くの人間は、二次創作物は二次創作物でありそこには一次創作物とは異なる別種の物語性・文脈が存在することを自覚しているのだから、「二次創作が一次創作に(利益上、あるいはイメージ上)害を与える」ということは、若干の例外、例えばそれが「二次創作物」であることを隠され流通した場合などを除き、ほとんどあり得ないことだ。その意味で、二次創作品は、一次作品よりもむしろ権利者によって存在が認められる可能性の高いものであるといえる。

他方二次創作作品が動画投稿サービスにとって多分にメリットのある作品であることは、紛れもない事実である。これは、良質な二次創作作品を求めて如何に多くの人間がニコニコ動画にアクセスしているかを考えれば、直ぐに分かることである。ここにおいて、サービス側は「一次作品も二次作品も(集客性があるならば)投稿を認めてほしい」という思惑を持つに至る。

一次作品の投稿を認めるのが相当厳しいのは、これまで論じられていたとおりである。では二次作品はどうか。二次作品は、先に上げたとおり「誰にも迷惑をかけないが、しかし集客性はある」ものである。つまりサービス側としては、これほどまでに喉から手が出るほど欲しい存在はない。かつ権利者を納得させることが出来るだけの材料も多分にそろっているわけであるから、動画投稿サービスという「場」は、視聴者と二次制作者、一次制作者の三角関係を考えた際、二次制作者と一次制作者を仲介せざるをえないのである(もっともMADについては判断が難しい。というのも、二次創作品には「暗黙の了解」として権利者から黙認されてきた歴史があるが、MADは禁忌とされてきた。つまり二次創作に関しては「これまでの前例がある」と主張することが出来るが、MADについては禁忌とされた前例がある以上、それをひっくり返すことには相当な困難があると予想される。*2角川の英断は、そのMADを認めたことにもある)。

角川書店の選択

先日、角川グループがYouTube上にアップロードされた二次制作・MAD作品を条件付きで容認するとの発表がなされた。これは、YouTubeが適切な場として機能したことを示すと共に、同様の発表がなされなかったニコニコ動画は、場としての機能を上手く果たすことが出来なかったことを表している。つまり、少なくとも角川書店はMADや二次創作を認める用意があるのに、ニコニコ動画は確固たる意思を持っている角川でさえ獲得できなかったのである。
個人的な予測ではあるが、他の権利者は、この角川グループの行動を注意深く見守っているのではないか、と思う。動画配信サービスと権利者を巡る問題について、角川グループは既にリーダー的な存在である。角川が一定の成功を収めた場合、他の権利者も角川に続き同様の手続きを踏む可能性は非常に高い。

この分野でリーダー的な存在である角川グループは、ニコニコ動画ではなくYouTubeを選択した。もし今後もニコニコ動画が選択されなければ、この分野における「決定のデファクト・スタンダード」を作り上げる存在になりつつある角川がそうした以上は、他の企業も角川の姿勢を追従する可能性がある。

ニコニコ動画が取るべき道

少なくとも多くの人間が「二次創作に明るいニコニコ動画」を臨むのであれば、そのような環境を整えることは、ニコニコ動画にとってもメリットのあることである。だから角川の一つや二つ(いや、勿論角川は一つしかありませんが)くらいもってこいや!!というのが、個人的な暴論。というのも、先に挙げたとおり角川の決定がデファクトスタンダードとなる可能性がある以上、先駆者としての角川をパートナーとすることは、角川から芋づる式に他の権利者も連なる可能性があるわけです。また、上記では判断留保としたMADについても、明るいニュースが待っている可能性だってある。
この一言のためにこれだけの文章を書かなくてはならない自分の考察力や知識、あるいは文章構成力のなさにうんざりしているのだが(まあ多分向いていないんだろうとは思うが他にやることがないのだ)、僕は自分一人だけでは言葉を作ることが出来ない人間なので、何かあればコメントしてくれると嬉しいです。

*1:二次創作とMADは本来分けて考えなくてはならないだろう。というのも、同人において原作を切り貼りしたMADは「御法度」であり、二次創作は黙認されてきたという歴史が存在するからである。

*2:権利者は「自らの権利に従ったまでだ」と主張する一方、二次創作者もまた「これまでの暗黙の了解に従ったまでだ」と主張することが出来るが、MAD制作者はそのような主張を持たない。存在の論拠を歴史上確立しておらず、ましてや禁忌とされていた時代がある以上、権利者側の英断を待つしかないのが、MADの現状であると個人的には推定している。