iPhone vs Androidを総括してみて、そして僕はなぜWindowsPhoneに期待するのか

2010年はまさにスマートフォンの年だったといってよいと思う。Xperia*1に始まり、iPhone4で加速し、「未来に行くなら、アンドロイドを持て。」を標語にau軍が攻勢をかけた。各社は「スマートフォン時代」に本腰を入れ始め、ついに我々の待ち望んだ未来がやってきたのだ。

……という具合だったが、個人的には面白くも何ともない一年だった。面白くないのはAndroidの態度である。

あらかじめ言っておくが、私は別にここの機能を取り上げて「ここはiPhoneに軍配が上がるがここではAndroidの勝利だ」などと続けていくつもりはない。ミクロな話ではなく、もっとマクロな話である。そう、設計理念の話だ。これからのスマホOSの理念の話をしようじゃないか。

iPhoneは、僕たちに何を教えたのか。あるいは、僕たちに何を「教え込んだ」のか。それは、「デファクトスタンダードの偉大さ」という一行にすべてを込めることができるのではないか。そして、スマートフォンデファクトスタンダードである「iOS+iPhone/iPad」の設計思想から少しでも外れた商品は、それだけで「使いづらい」製品に見えてしまうということではないか。
そしてなによりもAndroidにとって不幸だったのは、デファクトスタンダードとしてのiPhoneの完成度、満足度が高すぎたことである。この二つの要因によって、Androidは「とりあえずiPhoneを目指す」ということを目標としてしまったのではないか。しかし、「とりあえずiPhoneを目指す」と「iPhoneをまねる」は訳が違うのである。Androidには、iPhoneをモチーフに搭載されたにもかかわらず、iPhoneよりも使い勝手の悪い機能が多数存在する。

象徴的なのはハードボタンの配置である。iPhoneには、電源ボタンとホームボタンの二つしかボタンが存在しないのに対し、Android端末には多くのハードボタン、もしくは機能の固定されたソフトボタンが存在している。iPhoneは、「ハードボタンとマルチタッチパネルは相容れないものである」ということをはじめから意識し(あるいは意図的に相容れないようなデザインをとり)、「戻る」機能以外をハードボタンから排除した。その結果、我々は迷うことなく「ハードボタンを使うときと、タッチパネルを使うとき」を簡単に意識できるようになったのである。一方、Androidには多くのハードボタンがあり(しかも機種によって個数が違う!)、我々はこれらを使用するときに戸惑いを覚えずにはいられない。なにせ、ひとつひとつのボタンは「ハードボタン」、まさに機能を固定されたボタンにもかかわらず、使用しているソフトウェアによって別々の働きをすることがあり、それが我々に「基本機能」すら誤解させる仕組みになっているのである。ここにはハードボタンとタッチパネルの「区別」も明確には存在していない。もちろん、これはアップルが全面的に正しかったことを支持するものではない。アップルは巧みな開発とプレゼンによって我々に「そうすることが正しかったのだ」と刷り込んだにすぎない。しかし、iPhoneデファクトスタンダードとなってしまった以上、Androidは「完全にまねることもできないが、しかし…」という微妙な立ち居値をとらなくてはならなくなってしまった。「直感的」を突き進むアップルに対しては、その直感の角度を変えたモデルを投入するのではなく、別の「直感」を作り出すような働きをすべきではなかったのか。Androidに求められているのは、PSPPS3的な進化ではなく、Wii・DSのようなそれなのである。我々は、何か正統な進化というものが見え隠れしていて、なおかつそこにある種の閉塞感がある時、カウンターパンチのように繰り出される「古くて新しいもの」にめっぽう弱い生き物なのであるから。

Androidのこうした姿勢は、結局のところデファクトスタンダードなインターフェースを強化するだけなのである。おそらく、Androidは今後UMPCにおけるWindowsLinuxの立場を奪っていくことを想定しているであろうが、そのときインターフェースを変えようとしても、自分たちが強化してしまった「iPhoneモデル」がそこに立ちはだかってしまうのではないか、と私は危惧するのである。「良いところも悪いところも、とりあえずiPhoneを模倣してみて、まずはそこから考えよう」的なスタンスでは、シェアはとれるかもしれないが、使いやすさを得られるわけではない。PCの世界でいえば、WindowsというOSのもつ利点と、MacOSというOSのもつ利点の両者を併せ持った存在こそ、(かなり欲張りな要望ではあるが)スマートフォンという、肌身離さず使うものには必要とされている。

話を一つ前に戻そう。そこで出てくるのが「第三の選択」としてのWindowsPhone7である。WindowsPhone7は「タイル上のホーム画面」を用意し、iPhoneモデルとは違った「直感」を我々に提案しようとしているようにみえる。もちろん、WindowsPhone7は海外の販売で爆死してしまったという事実があるのだが、彼らががんばらない限り、スマートフォン業界にはもう「新しい風」は吹かないだろう。同様に、BlackBerryの新しい挑戦にも、我々は好意的にならなくてはならない。

「総括」と書いたものの、全く総括にならなくなってしまった。それに、かなり「iPhone信者」的なバイアスがかかってしまったようにも思える。ただ、私がいいたいのは「実際どちらが使いやすいか」という話ではなく、「iPhoneがこれだけ世界を圧巻してしまったがためにiPhoneをモデルとして作られたスマホOSが多くなり、その結果、iPhoneは全く『直感的』ではなく作られた『直感』を我々に提示しているだけにもかかわらず、あたかもそれが『本当の直感』のように受け止められている現状よくないよね、Androidはもうその罠にはまってるからWP7とBlackberryに期待だね」ということだと理解していただければ幸いである。

えーっと、この先はアップル信者の妄言。AndroidiPhoneのシェアを超える可能性はもちろんある。ただし、そこにあるのは、「シェアだけのWindows」と同じく、「シェアだけのAndroid」という点ではないかと思ってしまう。みんな個々に、しかし共通の不満を抱きながらAndroidを使い、隣のiPhone信者を「ぷぷぷー、昔はシェアトップだったのに転落してマイナーOSになって、今どんなキモチ?ねえねえどんなキモチ?」と、「シェア」を武器に語るしかない未来が、それが「未来に行くなら、アンドロイドを持て。」の真実なのか。

*1:HT-03Aのことはみんな忘れたよね...