それでもiPhoneは時代を変える

Thirのノート」では予想以上に大河の反響をいただいた。その中で、先の記事で書きそびれたことを少々。

iPhoneが黒船たる理由は、個体のユニーク性にあるのではなく...

むしろそのビジネスプランにある、というのが個人的な持論である。多くの方が指摘しているとおり、日本の携帯電話市場はキャリアが端末メーカーにたいし機能やデザインについても指図できる位置に存在しており、メーカーはキャリアの下請的な存在に過ぎない。各メーカーは最近こそ変わってきたものの基本的には自ら持つ独自の持ち味を十分に生かすことは出来ないのである。私たちはこのことについて、本来は疑問を持たなくてはならない。メーカーが新製品を発表するのではなく、キャリアごとに新製品が発表される現状を、どうして疑問に思わないのであろうか。
市場の面からいえば、キャリアにより市場がコントロールされることは、メーカーが前面に出されることで発生するメーカー間の競争・淘汰のメカニズムが働かないことを意味する。すなわち、メーカーはユーザーではなくキャリアのほうを向いているのである。メーカーの言うことを聞いていればキャリア様が販売してくれる、という市場の現状が、この市場を面白くなくしている第一の原因である。

iPhoneがメーカー主導の市場を切り開く

ソフトバンクiPhoneの受け入れにあたり、2つの要求をアップルから飲み込んだと思われる。それは

  1. アップルに対し通信費の一部を支払うこと
  2. ソフトバンクの携帯」としてではなく、「アップルの携帯(ソフトバンクの回線を使用)」という宣伝をすること

である。
これはまさに、キャリア中心の文化が「メーカー」という性質を受け入れたことを意味する。今でこそ「AQUOSケータイ」やら「VIERAケータイ」やらが登場しているが、さて、メーカーの持ち味を生かすというのはただ単に液晶の品質とかハードのちょっとした差とかそういうところだけを言うのだろうか。もっと根本的な部分からメーカーの独自性を見せることはできないのだろうか。

日本の携帯電話市場が面白くないのは、メーカー間によって性能差がほとんど存在しない点である。こたいはどれもこれも同一にダサいし、機能に関してもほとんど何も変わらない。正直、ガジェットオタクとしては「選択する楽しさ」が奪われたようで非常につまらない。昨今は2年縛り割賦払いが一般化し、これまで以上に機種変更のスパンが長くなっているのだから、メーカーが競争市場の中切磋琢磨して作り上げた個体を骨の髄からねらって選び尽くす作業がしたくてたまらないのに、どれもこれも同じようなものばかりだから、選択も何もないのである。製品からは作り手のねらいが何も伝わってこず、個体間の違いも見られない。やれやれ、ぬるま湯につかっていると淘汰も何もされないおかげでこうもつまらなくなるのか。というかんじだ。

そのつまらない状況は、キャリア中心からメーカー中心へとシフトすることで変革される。「まずキャリアありき」の状況から「キャリアとメーカー」が並列される状況への変化は、既にマンネリ化している日本の携帯電話を面白くする。確かにキャリア主導の開発には良い面も存在したが、しかしそれ以上に消費者が望んでいることは、「メーカーが消費者をみること」ではないだろうか。

iPhoneを受け入れることは、「キャリア中心からメーカー中心へ」をキャリアは受け入れることが出来ることを示す。売れるか売れないかは二の次で、まずはその体制が実際に一つのモデルとなることが重要なのである。もちろん売れなければ「やっぱりキャリア中心でいいだろ?メーカー共が」といったことにもなりかねないが、けれども海外のメーカーが突然現れ、キャリアがヘコヘコしている状況をみて日本のメーカーが何も思わないとは思えないし思いたくない。携帯電話市場がもっと消費者にとって彩色豊かな市場となるために、iPhoneは黒船として現れて当然であるし、現れるべきものである。インセンティブ制度から割賦制度へ事実上移行しつつあることも加味し、2008年は携帯業界にとって激動の年となってもらいたい。