ドワンゴの悲哀的なものが好きなのであって。

ドワンゴは、東証一部に上場しているのにも関わらず、そう、我々が「東証一部」と聞いたときに持つ「ザ・サラリーマン」というイメージに反して、どこか抜けていて、それでいて目指している方向性には非常に卓越した視線が含まれている企業であった。彼らがベンチャー企業からスタートしたのは今や有名な事実であるが、外から見るに現在においてもその精神を失っているわけではなく、また、良い意味での「頭の悪さ」も兼ね備えている。多くのインターネットユーザーは、「某音頭」がテレビCMで放映されたときに「大丈夫なのかこいつら」という感覚を覚えたはずだし、最近では「ニコニコ動画」の運営に当時2ちゃんねるの管理人であったひろゆきを大々的に起用したことが記憶に新しい。このような経緯もあって、ドワンゴは企業イメージとしては非常に稀有な、「ドワンゴならやりかねない」「ドワンゴなら何をやっても許される」というイメージを素直に獲得した。もちろん、NTTやJRのような大企業がドワンゴのようなことをやったとしても、それは「変化球」として受け入れられるだろう。しかしドワンゴの場合、そのような空気が「真正面」から肯定されている。そして多くの人が、ドワンゴの次の手を今か今かと待ち続けているだろう。そのような空気もあって、ドワンゴ社員がインターネット上で起こす個人的な「騒動」も、通常なら「炎上」になってもおかしくないところで、それとは逆にドワンゴの企業イメージをむしろ高める効果を持つ、という非常に珍しい状況が作られていたのである。

しかし今回、地震に付け込んで「サーバールームでけがをしたので助けてほしい」という書き込みがTwitterでなされた(「ドワンゴ社員がドワンゴサーバールームで何たらかんたらとか嘘ついたtweetについて現ドワンゴ社員と元ドワンゴ社員のやりとり - Togetter」)件については、このような企業イメージと同様のベクトル上に存在していながら、しかしそのイメージを壊してしまう事例として、私は位置づけることが可能であると考えている。

本件は地震の発生直後に行われており、記載されている住所と「会社で」というポストに不整合があったとしても、それを信じるに足る逼迫した状況があった。また、少し想像すれば、警察や消防が呼ばれる可能性があることは容易に予測できる(いくら病気とはいえ、ネタポストに対し謝罪を行うことができる人間が、そのような予想を行えないと考えることは困難だ)。多くの人の善意やサポートのリソースを悪意によって消費することは、絶対的に避けなくてはならないことであることは、インターネットを主な活動とする企業の社員であれば十分に理解可能であるはずであるが、彼は倫理意識をすべて無視しこのような行動に出た。また、彼の「病気」「失踪」については事実であったのだから、彼とその周辺は常にネタをはいているのではなく、緊迫した事態においては真実を伝えることもあった。だからこそ、「信じたお前が悪い」というのは、二重の意味で肯定するのが困難な言説なのである。

しかし、私はドワンゴには自浄作用があると信じている。先日の大会議における夏野氏の発言に対してはひろゆきが苦言を呈したし、今回の件についてもドワンゴの偉い人たちが同じく批判を行っている。「締めるところは締めるが、できるところでは徹底的にバカを演じる、それでいて路線はブレない」というドワンゴの今の姿勢を、私はこれからも大切にしていってほしいと思うし、だからこそ今回の件については十分に批判を行いたい。それは別に、「お前面白くねーよ、今回の件を茶化すならbogusnews虚構新聞のような方向性で行くのが筋ってもんだ」というような方向性でもいいと私は思っている。それがドワンゴの作り出した、企業風土という大きな大きな無形財産なのであるから。