id:toled氏に対する誤解について

随所で「(いわゆる)はてサが東浩紀先生に対し『祭り』的な態度で授業に望もうとした」という誤解」が生まれているようです。これは、id:toled氏が氏のエントリ内であたかも自らが「道化」のように振る舞ったような描写をしているために生まれている誤解のように思われますが、実際には、id:toled氏にはそのような意図はなかった、と私は思っております。実際、私は授業には行かずその後彼らと合流したのですが、その際の話について、若干述べておきます。

id:toled氏はまじめに授業を受ける気だった

別にid:toled氏はあたかも学生運動時における学生のように、彼らの授業を「糾弾」しようとしていたわけではありません。むしろ東先生の授業を真摯に受け止め、その上で反論する機会を東先生が用意したらする、といった態度を取っておりました。その証拠に、氏はアガンペン著の「例外状態」英訳版や、東浩紀著の「リアルのゆくえ」を持参し(デリダによる「法の力」は、「探したけどなかった、これが欲しかったんだ!」と、東先生の授業に出席した方が後に見せてくれた授業での配布プリントを閲覧して語られていました)デリダ東浩紀歴史修正主義に関する文献を事前に「予習」してある状態にありました。この点において、「なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog」において「よくある誤解」の「代表例」的に稲葉先生が語っておられるところの

 何より常野さんはまず最初にやるべきこと、つまり東さんの議論とデリダの議論を突き合わせてきちんと検討する、ということを自分でしていない。

という批判は、その点でも、全くの的外れであると思います(その点に対する別の点というのは、まさにid:gerling氏がコメント欄で指摘している点です)。id:toled氏は少なくともまじめに東先生の講義を聴講し、その上で紳士的な対応をしようと考えていた、というのは、私の主観ではありますが、全くそのようであると考えています。本人も、「あずまんの授業行こうぜー! - (元)登校拒否系」において、

僕個人はあずまんを論破したり知識を伝授したりということに興味はありません。そうではなくて、あずまんのような(少なくとも普通の人よりは)勉強をしていて賢そうな人が、なぜこんな残念な末路に至ってしまったのか、ということを観察してみたいと思ってます。

と記述している通り、彼は東浩紀にケンカを売りたかった(祭りを起こしたかった)わけではなく、ただ単に東浩紀という人物がどのようにデリダを読解し、どのように「ポストモダニズム的リベラル」という立場を「誤解」するに至ったか、を「観察」したかっただけなのだと思います。

「祭り」にしたのは誰か

この事態を一種の「祭り」にしたのは誰か。それは他でもない、東浩紀先生にあるのではないか、というのが私の意見です。たとえそれが、「複雑性を縮減するためThirは誰かに責任を転嫁させようとしている」というポストモダン的な態度をもって批判されようとも、これは揺らぐことのない「事実」です(それを「真実」かどうか、すなわち価値の問題をどのように判断するかは、皆様の判断に任せます)。東先生は、「hirokiazuma.com」の中で、

文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。

(強調はThirによる)と語っておりますし、そもそもこのエントリ内では、

デリダが上記のような主張をしたとは、授業ではひとことも言っていないし、ぼくもそんことは主張するつもりはまったくありません。それは単純な誤解、というか速記の恣意的な読みこみです。したがって、「東浩紀デリダ解釈がおかしい!」とか言っているらしいひとは、単に的を外しています。この点については速記者(id:nitar)に確認をとってもらってもけっこうです。

と、「速記者氏の記述を参照するように求めながら、一方でそれを『速記の断片的引用ばかりがコピーされ』ることにつながる」として批判するという、自己矛盾をしております*1。このような自己矛盾が起こる中、はてサ・東先生が納得できる形で議論を納めるためには、両者が共通の場で面会するしかなく、その一つとして氏は「授業に出て質問したらいい」と提唱した、その言葉に従うことが「両者が挙通の場で面会すること」の最も簡単な形として現れることは、誰にでも予想できたはずです。

私の聞くところによれば、東先生はその場で「以前から聴講していた人、及び以前に自分に面会したことのある人」は潜っても良い、という判断を行いというわけでもなく、「「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船」によれば、東先生の独占的な決断基準が臨機応変に適用されていた模様で、斜線部分はその一部でしかないようです、失礼。その判断基準から唯一漏れたのがid:toled氏でした。その場にいたほかのはてサの人は、「以前に自分と面会したことのある」という条件を満たしているため入出は可能であったわけですが、id:toled氏を一人でおいていくことは「友達としておかしい」との理から、それを拒否したわけです。その場においてid:toled氏がついた「嘘」は、確かに社会人としての道理に反するものであったかもしれない。けれどもそれを誘導したのは他でもない東先生であったのではないか、ということは、消し去ることの出来ない事実です。

*1:「速記者の記述を参照する」と「速記者に確認を取る」は等号関係にないと指摘されました。確かにそうかもしれません。ただ、ここではそのような解釈を行った、として記述自体は残しておきます